死を、意識する。

たまに、心臓が、「キューン」となることがあります。
もっとも、医者に行くほどではないし、
もし行ったとしても、「あはは、心配ないですよ:で
終わることでしょうけれど。

(ちなみに、
 恋をして「キュン」となるのとは違います)

じつのところ、伯母が亡くなる以前から、
30代を越えた自分を含めて、いつ誰が倒れても
おかしくない状況かな、とは考えていました。

自己啓発系の書籍や、ブログで
“「今日が人生で残された最後の日」と思って精一杯過ごす”、と
表現してあるのを読むたびに、
これは、後ろ向きかもしれない、と僕は考えていました。

反対に、
“「今日が人生のリスタートの最初の一日」”の方が、
前向きで、あれもこれも、取り組む、
将来の種まきになるんじゃないかと考えていました。

今日、仕事をしているうちに、
やっぱり、前者が正しかったのかな、と理解できました。

仕事をしているうちに、
同じ会社の社員とコミュニケーションしているうちに、
「これは、今、言っておくべきかもしれない」
ということがあって、

それって、
やっぱり、
明日では遅い=今日が人生の最後の日なら、明日はない(明日だと言えない)
ってことかなぁ、
と理解できました。